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島本町では、島本町広瀬の水無瀬家に伝わる古文書類について、今後の保存と活用を図るため、令和5年度から5年間の予定で水無瀬家所蔵資料調査を実施しています。
町内に伝わるこれら文化財への興味・関心を広げ、文化財保護への理解を深めていただくことを目的に、令和7年度の調査で明らかになった一部の資料について、町立歴史文化資料館で展示するとともに、関連講座として、資料を平易に解説するギャラリートークを開催します。
★展示期間=第1期:令和8年10月22日(木曜日)から11月8日(日曜日)まで
第2期:令和8年11月10日(火曜日)から11月25日(水曜日)まで
第3期:令和8年11月26日(木曜日)から12月13日(日曜日)まで
★開館時間=午前9時30分 から午後5時まで (最終入館は午後4時30分)
水無瀬家所蔵資料について簡単に解説します。
★令和8年11月23日(月曜日・祝日)
午前の部 午前11時00分から、午後の部 午後2時00分から
(それぞれ30分程度)

【写真】紀海音筆 短冊 1葉(9葉1綴のうち) 享保20年(1735)
紀海音(きのかいおん、1663~1742)晩年の筆蹟をとどめた和歌の短冊です。海音は、江戸時代前期から中期に活躍した大坂の町人で、俳人として知られていた父や、狂歌師(滑稽や教訓の意を込めた作を詠み、指導者的な立場にもあった歌人)として多くの門弟を抱えていた兄という、文芸色豊かな家庭環境に育ち、海音自身も浄瑠璃(じょうるり)や俳諧、狂歌と多方面で実作を残しました。
和歌短冊は、「老人」の題で、「鏡だに今はいとはで中々にしらぬ翁とみてややみ南」(鏡に映る老いた我が姿に戸惑い、衰えゆく現実への切なさを詠んだ従来の歌を軽くいなした一首)とあり、最後に「海音」の署名が入ります。短冊は、白色地に朱の罫掛けが施されたもので、同体裁の他の8枚とともに上部を紙縒(こよ)りで綴じられて今に伝わります。

【写真】水無瀬神宮御法楽和歌 1綴 昭和15年(1940)
本品は、昭和15年に1年間にわたって奉納された法楽和歌(ほうらくわか、神仏を慰めるために捧げられた和歌)です。法楽和歌は、月ごとに「縦詠草(たてえいそう、和歌の書式の一つ)」の書式で書かれた紙と、紙縒(こよ)りで綴じられた「短冊」からなり、12か月分をまとめて一冊として綴じ、表紙がつけられています。
【写真1】『広瀬青年支会報』5月号・7月号 2冊 昭和13年(1938)発行
戦前、日本の青年たちは地域ごとに「青年団」を組織していました。それは、大正14年(1925)に政府主導で結成された男子青年団の全国組織「大日本連合青年団」を頂点に、都道府県、郡、市町村、さらには集落単位の「支部(支会)」へと細分化された巨大なネットワークを構成していました。
その最前線である島本村広瀬の青年たちが、自ら編集・発行していたのがこの『広瀬青年支会報』です。この古い郷土資料には、集落で生きていた当時の若者たちの「生々しい息遣い」や「日常の葛藤」が記録されています。
【写真2】『島本村報』第24号 1枚 昭和13年(1938)発行
島本村役場が発行した村報で、1枚ものの広報誌です。冒頭は村長寄稿の「自治制発布五十年を迎へて」に始まり、歴代村長や村の発展に尽力した先人である「自治関係物故者」の名が誌面の約半分まで連ねられています。
また、誌面後半ではこの制度(「市制及町村制」明治21年公布)のもと、明治22年(1889)に「島本村」が発足し、それまでの村々が「大字」という村内の区画になった経緯を踏まえ、「島本村の変遷」として各字の歴史や事跡が改めて紹介されています。