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島本町の文化財を知っていただくために、企画展や刊行物に掲載することができなかった話などを連載していくことといたしました。
連載テーマなども統一せず、不定期で更新していきます。
今回は、水無瀬家所蔵資料調査のなかから、水無瀬忠政(1881-1963)の貴族院(参議院の前身)議員関係資料の一部を紹介いたします。
水無瀬忠政が議員を務めていた頃、昭和初期の日本を震撼させる事件が起きました。二・二六事件です。昭和11年(1936)2月26日に起きた陸軍の一部将校たちが、武力で政府を倒そうとしたクーデター未遂事件として知られています。この事件で一部の将校たちは政府や軍の高官を殺傷、首相官邸や国会議事堂など永田町一帯を占領し、国家の改造を要求しますが、2月29日に反乱は鎮圧されました。
【写真1】御署名原本(昭和11年 勅令第18号 一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件)
提供:アジア歴史資料センター(原本所蔵:国立公文書館)
上掲の【写真1】は、事件発生翌日に「戒厳令(かいげんれい)」を公布・施行するために制定された緊急勅令(きんきゅうちょくれい)第18号の御署名原本(ごしょめいげんぽん、※天皇の署名と印を付した文書)です。戒厳令とは、非常時に軍隊が通常の権限を越えて、治安維持や混乱の鎮圧を行うための特別な法律です。
勅令には御璽(ぎょじ、※天皇の印章)が見えます。緊急勅令は帝国議会閉会中に緊急の必要に応じて制定されますが、制定の後に次期帝国議会で承諾が必要となります。
この度の調査では、当時、貴族院議員であった水無瀬忠政の議会関係史料の中から、次期帝国議会用に配付されたと思われる緊急勅令第18号の議案書と思われる資料を見つけました。
(表紙)
(議案書)
(1頁)
(2頁)
(3頁)※4頁は白紙
(5頁)
【写真2】昭和11年勅令第18号
上掲の【写真2】はその資料(議案書)で、1頁から3頁には御署名原本と同じ内容が印刷されています。また、表紙をよく観察すると、タイトルの右側には「五月七日」「委員九名」「五月十一日可決」と鉛筆で記された本人自筆のメモが見えます。
※表紙に記された本人自筆のメモ
当時の審議経過が記録されている官報号外を確認すると、緊急勅令第18号については、「5月7日」の貴族院本会議において委員付託とされ、「委員9名」に委ねて詳しく審議されたことがわかります。
当時、水無瀬忠政はこの事件をどのように受け止めていたのでしょうか?もしかすると、今後の調査で心情がしたためられた手記などが見つかるかもしれません。今後に期待したいところです。