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暑さが増す季節は、花に出会う機会も減っていくような。
紫陽花が盛りを過ぎたら、次の楽しみは真夏のサルスベリかヒマワリか、とぼんやり考えていたら……。
ありました、ありました(^^♪
山中を車で走っていたら山肌に霞むように咲いていたねむの木。
うす薄紅色の糸のような花はあまりに繊細で、触れると空気のよう。
上皇后美智子さんが作詞された「ネムノキの子守唄」。
ご自分のお子さんに歌ってきかせられたとか。
言葉を知らない0歳児だからこそ、そのメロディーを五感全てを使ってその小さな身体に取り込まれたことでしょう。
0歳の時からコミュニケーションは始まっています。
抱っこされて、目と目を合わせて、繰り返し繰り返し優しい言葉で語りかけられる。
それがひいては大人や言葉への信頼につながっていくのだと思います。
幼児期のコミュニケーションは、通常1対1の対話の形をとり、助詞や助動詞がぬけたり、文法が間違ったりしていてもその内容は十分に伝わります。
それは、コミュニケーションの相手が、親や保育者等「特定の親しい人」であり、子どもの背景にある経験や文脈を読み取りながら聞くことができるから。
子どもは言葉を獲得する過程で、自分が愛する、そして自分を愛してくれている人の言葉を通して自分の言葉をつくっていくのだと思います。
一方、学校生活では、言葉は特定の親しい人だけに対してだけではなく、不特定多数の未知の人に対しても通じることが求められていきます。
目の前にいる相手以外の人に対しても、言葉を紡いでいかなければなりません。
小学校以降は言葉の質的な転換があるでしょう。
そこを子どもに負担感を強いることなく、できるだけ自然に繋いでいくことも、低学年担任はじめ小学校教職員の役割であると思います。
そして中学校以降では、より高度なコミュニケーションへ昇華していくことを期待しています。
(中村りか)