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将棋駒には数多くの銘があるといわれています。そして、その駒の書体に「水無瀬書」という書体があります。
「水無瀬書」は、安土桃山時代の公家 水無瀬兼成(みなせかねなり)が書いたことから始まるといわれ、現在でも、愛好家のなかでも人気の書体です。
「水無瀬書」の祖である水無瀬兼成の将棋駒が、島本町の水無瀬神宮に約400年間伝わり、町指定文化財「水無瀬駒 関連資料」として指定されました。
江戸時代以前の貴族社会で愛好された古将棋(こしょうぎ)のひとつで、92枚(現代の将棋は40枚)の駒を使用します。
また、現代の将棋では、敵から取った駒を味方の駒として自由に使うことができますが、中将棋では常に取っては捨てる「取り捨て」となります。
現在は将棋と中将棋の関係は薄くなっているものの、大山15世名人などは中将棋を愛好し、京阪神を中心に広く指されてきました。現在では、中将棋を指す人は少数で、中将棋を目にするのは、貴重な機会なのではないでしょうか。