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島本町の文化財を知っていただくために、企画展や刊行物に掲載することができなかった話などを連載していくことといたしました。
連載テーマなども統一せず、不定期で更新しています。
島本町ふれあいセンター庭内に、「橋名碑(きょうめいひ)」「道しるべ」「記念碑」の標示石群があることをご存知でしょうか?
もともとこの場所にあったものではなく、様々な経緯でここに集められました。
今回は先ず3ケ所にある「橋名碑」について紹介します。
写真のAは水無瀬橋のものです。
(正面)水無瀬橋 (右側)寛政七卯歳霜月(1795年卯年の11月)
写真 B も水無瀬橋のものです。
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◎(正面)水無瀬川 水無瀬橋 (右側) 大正二年九月修繕(1913年9月)
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◎(正面) みなせはし 刻銘なし
※資料館に複製を置いています。
写真Cは閻魔橋です。
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◎ (正面)ゑんまはし (左側)閻魔川 明治四十二年四月(1909年4月)
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◎ (正面)閻魔橋 刻銘なし
島本町山崎にある、サントリー山崎蒸溜所のそばに閻魔川が流れ、西国街道に架かる橋が閻魔橋です。
なぜ閻魔川、閻魔橋と呼ばれているのかというと・・・
明治以前は、サントリー山崎蒸溜所区域に西観音寺(現椎尾神社)という天台宗の寺院があり、惣門の外には閻魔堂が建っていたのです(サントリー山崎蒸溜所の案内所の向かい側に西観音寺閻魔堂跡碑があります)。
しかし、明治元年(1868)の廃仏毀釈によって西観音寺が廃寺となり、椎尾神社となりました。その際、閻魔堂にあった閻魔王座像ほかは、大山崎町宝積寺に移され重要文化財となっています。堂は解体され、部材は禁門の変で焼失した大山崎町大念寺本堂の改築に使用され、さらに西観音寺本堂は大山崎町観音寺(山崎聖天)に移築され現存しています。
廃仏毀釈によって仏像仏具類は諸寺に分散し、島本町にはほとんど残っていませんが、このように廃棄されずに現在に受け継がれてきた文化財があるということは、価値あることだといえます。
次回は、「道しるべ」について紹介します。