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町立歴史文化資料館のマスコットキャラクター「かん太くん」が、資料館入口でみなさまをお待ちしています。
桂川と宇治川が合流する中洲先端部分の河床で発見された口径52.6センチメートル、器高105.0センチメートル、容量522.6リットルのほぼ完形の須恵器の大甕です。奈良時代末期から平安時代初頭に作られたと考えられ、町指定文化財第6号「須恵器 大甕」として指定されています。
島本の文化財 No.8 須恵器 大甕(PDF:272.7KB)
埋蔵文化財の発掘調査で出土した遺物を展示しています。
縄文時代から中・近世の土器や石器、陶磁器、瓦、銭貨、金属製品等を展示しています。
正倉院に残る日本最古級の絵図の1つ「摂津職嶋上郡水無瀬荘図」の複製品です。
原図には天平勝宝8年(756年)の年代が記されています。
この水無瀬荘は、現在の本町東大寺三丁目周辺と考えられており、この絵図から当時の本町の様子をうかがい知ることができます。
延元元年(1336年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)率いる大軍を迎え撃つため、京を発った楠木正成(くすのきまさしげ)が、桜井の駅(宿)で息子正行(まさつら)に遺訓を残し、河内に引き返らせたと「太平記」に記述されており、町立歴史文化資料館の向かいに位置する桜井駅跡は国史跡に指定されています。その史跡桜井駅跡とその記念館として建てられた麗天館(現在の町立歴史文化資料館)に関連した資料を展示しています。
将棋駒には数多くの銘があるといわれています。そして、その駒の書体に「水無瀬書」という書体があります。
「水無瀬書」は、安土桃山時代の公家 水無瀬兼成(みなせかねなり)が書いたことから始まるといわれ、現在でも、愛好家のなかでも人気の書体です。
「水無瀬書」の祖である水無瀬兼成の将棋駒とその関連資料として町指定文化財第1号に指定されている「水無瀬駒 関連資料」の複製品を展示しています。
島本の文化財 No.1 水無瀬駒 関連資料(PDF:467.3KB)
大正の広重と呼ばれた鳥瞰図絵師・吉田初三郎(よしだはつさぶろう)氏による、麗天館を中心にした近畿一円のパノラマ図を展示しています。この桜井周辺図には、楠木正成ゆかりの地が記されており、一瀬粂吉(いちのせくめきち)氏が吉田初三郎氏に依頼して製作したものです。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の初戦となる鳥羽伏見の戦いの際、幕府軍は官軍を防ぐため、天王山のふもとの淀川両岸で交戦しました。その戦いの時に、現在の本町広瀬の民家に流れ飛んだきたと言われる砲弾等を展示しています。
ちょっと前の時代に、人々の生活の中で使用されていた民具を展示しています。
島本町の自然環境や各文化財の位置が一目でわかるよう、島本町の地形を立体ジオラマで再現しています。
西浦門前遺跡で、後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮に関連する施設と考えられる庭園跡が見つかりました。その庭園跡の一部を町立歴史文化資料館の前庭西側に移築復元しています。